「ぼくはテクノロジーを使わずに生きていくことにした」という本を寝る前に少しずつ読み進め、先日ようやく読み終えた。
著者は電気を一切使わずに、アイルランド西部のゴールウェイ県にある小農場に自ら建てた小屋で生活している。2ヶ月半近く、その暮らしぶりに没頭するベッドタイムだった。もはやベッド=アイルランドの田舎生活、みたいな感じで幸せな時間を過ごさせていただいた。
仕事をして、そこで得たお金で物や時間を買う、という生活に疑問を持っている自分が割と昔からいる気がする。
自分にとっての幸せは何か?と聞かれたら「生きること」であり、「仕事で得たお金で生きる」だけが正解ではないような気はしている。「自分が生活に必要な物を得る為に働く」のであれば、著者のマークと同じ暮らしの方が、より自分の幸せを感じるのではないか?と。電気もインターネットも使わずに生きていく生活。それは「仕事=生活」というシンプルなものだと思う。
自分の生活の為に働く。食べる為に畑を作ったり釣りをしたり、なんてことは簡単に想像がつくけど、生きるってことは本当に大変で、1つ1つの積み重ねなのだとこの本を読んで思い知らされた。だけど、自分の仕事が自分の幸せに直結していると思う。
私の周りには電気を使う便利なグッズが溢れていて、それは私の生活をラクにしてくれてはいるけど、私がそれで本当に満たされているのかはわからない。「テクノロジーは私たちの生活を豊かにする」と思う。だけど皆が気づいているように、そうでない側面もある、と。
スーパーに並んでいる肉や魚を食べることにも、ほんの少しだけ違和感を感じている。私は菜食主義ではないからなんでも食べるけど、調理する際にいつもアレコレ考えてしまう。調理済みのものは考えないで食べれるけども。自分が生きていく為に、牛や豚を殺すことができるのか?と何度も自分に問いかける。魚なら殺せるかもしれない。とか。
そういったことが昔から頭の中にふわっとある。
とはいえ、電気なしでサバイバル生活みたいなことをしたいと思っているわけではない。ただ、もっと「生きる」ってことにフォーカスしていたい。日常の一瞬一瞬を大切にして生きていたいのかもしれない。
生活していく中で、自分が何に満足して何に不満を覚えているのかを、ほんの少し意識してみたい。
生きている間に自分のことをもうちょっと知れるといいな。
次のベッドタイム本は「マザーツリー」その名の通り、木について色々と書かれているらしい。辞書みたいにぶ厚いけど、余白が多くて思ってたよりは早く読み終わりそう。だけど、しばらくは森の中で眠りにつくことができる。